定期的に感情歩発露をするのは大事だなぁといううお話。
事の発端は、こちらのNoteの記事。
https://note.com/wild_orange/n/nd526ae17ed40
本当にすごく衝撃を受けたんですよ。話が面白いとか……は、その通りなんだけど、米津玄師という人物が普段の会話でどんな喋り方をしているのかという点において衝撃的だったというか。
記事の趣旨としては「米津玄師という人物がもしも桃太郎を誰かに読み聞かせをしたらどんな話をするのか。普段のインタビューとかライブ中のMCなどの言い回しを引用したりテイストを取り入れたりして書いた」的な話。
読み物としても面白かったので未読のときは読んで欲しい。
で、この記事に出てくる「米津玄師のようなひと」は記事の感想を見る限りはけっこうその通りっぽいらしいのでその前提で話を進めるとして。
『こんなに感情を発露した独特の言い回しをする人を見るのは久々だ。右脳が刺激される。』という感想に至ったわけですね。
近年、仕事を進めるために自分の感情を置き去りにすることが多々あり、右脳がめちゃんこ弱まりきっていたところに、こんなに自由で素直に感想を述べて感情を発露してるのは羨ましいなぁ〜と、本当に本当に、とても感心した。
・感情は理性で抑えるもの。
・物事は感情と事実に切り分けて考えるもの。
・文章は要点と結論を簡潔に書くもの。
・会話は自分の意図を伝えて相手の意図を汲み取って円滑に進めるもの。
知らねーよ。自分が感じたとおりに発言しても仕事が円滑に進むようになれよ。何なんだよ。
そう、まがりなりにもゲーム開発しているひとなので、本当は感情的に面白いつまらないの話をしてもいいし、自分にとって納得できるかできないかが大事な要素。なのに周りはいつもいつも「それの根拠を教えてくれ?」「その結果、数字はどうなる?」ばかり。
売上目標とか根拠ねーよ。想定ユーザー全員にプレイさせて面白いつまらないの話でもさせてろよ、それでも買ってくれるかなんて分かんねーよ。
継続率の想定数値とか分かんねーよ。明日もやりたくなるゲームはログインボーナスなんて意味ねーよ。楽しく操作できて自分でも遊べるかのほうがよっぽど重要だよ。遊ぶのにストレスが無いゲームのほうが続くんだよ。俺は自分が面白いって思ったものしか作れねーよ。
想定プレイ時間とか知らねーよ。上手い人はすぐ終わるし下手な人は時間かかるだけだろ。みんな同じように進むように調整したら全自動になるだけでゲームじゃねーだろ。
あー。もう最近ずっとそういう気持ち持ってる。
最初の記事を読んでから、感情の発露が羨ましくて眩しかった。すごく葛藤しながら悩みながら、でも湧き出してくる感情を発露して何かを創りながら生きてるんだろうな。知らんけど。
でも、おかげで自分も感情の大切さを思い出したし、またブログでも書こうかなって思った。
つまりこれは自分のリハビリ記録。
甦れ、俺の右脳。
おわります。
https://mokumokusan.blogspot.com/2023/01/blog-post_68.html感情の発露を求めるひと