2023/01/31

汝の隣人よりも遠くの誰かに暖かさを感じるひと

同僚「地方の人はあたたかいなぁ。都会の人ってなんか冷たいですよね」

都会にいる人のうちの多くは元々別のどこかに住んでいて、外様だからみんな大人しくしているだけじゃないかなぁ、と思うのである。

誰が地元のひとで誰が外からやってきた人なのか、ひと目見て分からないところ、クールな接し方になりがちな要因よね。

というか、身近にいるはずの大事な人よりも、遠くにいるすれ違いざまの他人のほうが温かいと感じるとか、それはもう身近な人が凍えすぎて早く離れた方がいいというやつなのでは。言わんけど。

日常生活をおくるひと

今日は会社に行ってお仕事をしてランチを食べて会議をして退社して家に帰るような、そんな一日だった。

PCの前に座り、

日がな一日キーボードを叩き、

マウスでカチカチ資料を動かし、

パワポやPDFを読みふけり、

隣りにいる人と談笑し、

会議で次にやることを決め、

窓の外の色が変わることを知る。

けっこうどこにでもありそうな事をしているつもりだけど、これって仕事と言えるのかしらね。
何かを作っているつもりではあるけれど、大半は脳みそと目の奥で消費されるもので、別に作らなくてもまぁ誰かの生命活動は維持できる。
どうしてこの仕事でお金が稼げているのか、たまによく分からなくなることがある。

そんなわけで、ちょっと鬱っぽいなと思ったら、太陽を浴びて散歩をすれば治る。暗がりの仕事をしている人は散歩でだいたい元気になるのである。

2023/01/29

都会の人の多さに辟易するひと


土日に都会に行くと人が多くて人酔いしてしまう。入国制限や行動制限が徐々になくなってきて、観光客や外国人が街に溢れてきた。
溢れた結果、別の街に移動してくれればいいんだけど、都会は高い建物で三次元的に人を抱え込んでしまう。
ずっと三次元的に人を抱えてくれていたらいいんだけど、人が移動するときには地上を経由しなければいけないので地上が人で埋もれてしまう。

都会が大きなビルになって、地上と空中で人を抱えられるようになって、はじめて次の世代の都会になったと言えるんじゃないかと思う。
ビルとビルの間を移動用のパイプがひしめき、隙間を縫って空を飛ぶ車が走りまわる。それってドラえもんに描かれていた22世紀の姿なのでは。

22世紀まであと80年弱。
どうせ成るなら、そんな都市になってほしい。

2023/01/27

感情の発露を求めるひと

定期的に感情歩発露をするのは大事だなぁといううお話。

事の発端は、こちらのNoteの記事。

https://note.com/wild_orange/n/nd526ae17ed40

本当にすごく衝撃を受けたんですよ。話が面白いとか……は、その通りなんだけど、米津玄師という人物が普段の会話でどんな喋り方をしているのかという点において衝撃的だったというか。

記事の趣旨としては「米津玄師という人物がもしも桃太郎を誰かに読み聞かせをしたらどんな話をするのか。普段のインタビューとかライブ中のMCなどの言い回しを引用したりテイストを取り入れたりして書いた」的な話。
読み物としても面白かったので未読のときは読んで欲しい。

で、この記事に出てくる「米津玄師のようなひと」は記事の感想を見る限りはけっこうその通りっぽいらしいのでその前提で話を進めるとして。

『こんなに感情を発露した独特の言い回しをする人を見るのは久々だ。右脳が刺激される。』という感想に至ったわけですね。

近年、仕事を進めるために自分の感情を置き去りにすることが多々あり、右脳がめちゃんこ弱まりきっていたところに、こんなに自由で素直に感想を述べて感情を発露してるのは羨ましいなぁ〜と、本当に本当に、とても感心した。

・感情は理性で抑えるもの。

・物事は感情と事実に切り分けて考えるもの。

・文章は要点と結論を簡潔に書くもの。

・会話は自分の意図を伝えて相手の意図を汲み取って円滑に進めるもの。

知らねーよ。自分が感じたとおりに発言しても仕事が円滑に進むようになれよ。何なんだよ。

そう、まがりなりにもゲーム開発しているひとなので、本当は感情的に面白いつまらないの話をしてもいいし、自分にとって納得できるかできないかが大事な要素。なのに周りはいつもいつも「それの根拠を教えてくれ?」「その結果、数字はどうなる?」ばかり。

売上目標とか根拠ねーよ。想定ユーザー全員にプレイさせて面白いつまらないの話でもさせてろよ、それでも買ってくれるかなんて分かんねーよ。

継続率の想定数値とか分かんねーよ。明日もやりたくなるゲームはログインボーナスなんて意味ねーよ。楽しく操作できて自分でも遊べるかのほうがよっぽど重要だよ。遊ぶのにストレスが無いゲームのほうが続くんだよ。俺は自分が面白いって思ったものしか作れねーよ。

想定プレイ時間とか知らねーよ。上手い人はすぐ終わるし下手な人は時間かかるだけだろ。みんな同じように進むように調整したら全自動になるだけでゲームじゃねーだろ。

あー。もう最近ずっとそういう気持ち持ってる。

最初の記事を読んでから、感情の発露が羨ましくて眩しかった。すごく葛藤しながら悩みながら、でも湧き出してくる感情を発露して何かを創りながら生きてるんだろうな。知らんけど。
でも、おかげで自分も感情の大切さを思い出したし、またブログでも書こうかなって思った。

つまりこれは自分のリハビリ記録。
甦れ、俺の右脳。
おわります。

命の洗濯をするひと


蟹のマーク……これは……キャンサー!

というわけで昨年末から有明のがんセンターにお世話になっていたのですが、別にがんになったわけでは無く。
地元のクリニックに『なんか変な感じなんですけど』と診てもらったところ、あれよというまに紹介状を持たされて「はい!こちら行ってきて!近いところでいいからね!」と送り出されたのでお世話になったという感じで。

有明がんセンターのお医者さんからも、検査結果が出るまでは「うーんこれは結果が出るまではそうとは言わないけど色々調べておきましょうか」と念入りに調査されるくらいには変な状況だったようで、これは貴重な経験だったことは間違いない。

結果的には何事も無かったですが、クリニックのお医者さんから「気を強く持ってね」的なことを言われたことは忘れがたい経験だったなと振り返るに思うのである。

実際のところ、がんじゃなかったのでホッとする反面、そういう「本当の意味で命に関わる何事かが自分の身体の中で起こっている」というシーンが人生で起こるかもしれなかった事、しかし何もなかったことにはちょっと残念な気持ちがあったのも事実で。

死にたい願望があるわけではなく、ドラマチックな何かがあって、それが解決して、『ああ良かったな!大団円!人生は続く!』みたいなことへの憧れはいつまで経っても抜けきらない。

周囲の人に心配をかけたいわけでもなくて。そういう自分勝手で独断的な自分の感情と言葉はあまり表に出さないほうが良いことも知っている。
でも、そういう特別な物事が自分だけに幾つも降り積もって、運が良くて何事もなくて後々になって結果的に得をするような、そういう人生の流れがいくつもやってきてほしいと願ってしまう。いくつになっても歳を重ねても変わらないだろうなぁと思う。

終わり。

2023/01/26

初心に帰るひと


嫁さんから「なにか書きたいんだけどネタがないと書き続けられないのでなんかどうにかならないか(意訳)」という相談を受けたので、
『だったらライフログでも毎日書けばいいんじゃない?毎日なにかを書こうと思ったら何かを継続していないと難しいと思う。ライフログという名の縛りプレイはどうだろう。』と返答したところ、あまり納得はしてないっぽい感じだったけど、とりあえず何となくぼんやりと書き始めた模様。

人生という名の継続案件は生きている限り続くので、毎日何かを書きたいのであれば自分のことを書くのが一番いいと思う。

そんなわけで嫁さんにライフログを勧めた以上、自分も何かを始めたほうがいいのではないかという強迫観念から昔のブログを掘り出して自分のことを書き始めるのであった。

『ライフログを書くのであればなんか写真でも貼ってそれについてコメントを書くのもいいね』と言ったので、自分もなにか写真を貼り付けるのである。
今回の記事に全く関係ないけど、先日箱根神社に初詣とご参拝をしてきたときに撮影できた1枚でも。心が清らかで穏やかになるなぁ。

今日はここまで。明日も覚えていたらなにか書こう。